現象はフラクタル(相似形)に生じる
私たちは、何かを体験した時
「あれ?前にもこんなことあったな
「同じ様なことで
同じ様なことを感じたな」
と、デジャヴ(既視感)を感じることってありませんか?
楽しいことなら良いですが
もしそうでなければ
繰り返したくないですよね
実はその問題には
「種」がちゃんとあって
「同じような現象」という「実」が
繰り返し起きてきているのです
例えば
お財布を盗まれた!
お子さんやお孫さんが
財布からお金を抜き取っている!
そのようなことは
起きてほしくないですね
ーそれが「結果」なら
「原因」が私の中にあるってこと?
私が「盗んだ」ってこと!?
身に覚えのないことなので
まさか、そうは思えないでしょう
そして
同じ様なことが
繰り返し起こります
原因 =「種」はいつも自分の中にある
全ては自分の心の投影である
そのことを理解すれば
問題の原因は自分の心の中にあると
推測がつきます
心の中にあるフラクタル(相似形)の種を
見つけられるでしょうか
その種はずっと前、幼少期の行動に
あるかもしれません
でももしかしたら
今の行動の中にも
現れているかもしれません
※以下はあくまで例です
✔会社の備品のボールペンを
家用に持って帰る
✔スーパーのレジにある
ビニール袋、割りばしを
必要量以上に拝借する
✔スマホの充電を
許可されていない場所で行う
✔税金のちょっとしたごまかしがある
そんな小さなことで??
と思いますか?
一つ一つは小さくても
毎度繰り返していると
量としては大量に
なってしまいます
思考は量で現実化しますので
”ちりつも”で現象化するわけです
お金を払っていない以上
それらは小さくても盗みです
わかりにくいのは
その行動が「無自覚」であったり
具体的な「物」でない場合もあります
✔「ねえねえ、聞いて~」と
自分の話したいことだけを話し続け
人の時間を無自覚に奪っている
(夫や親であっても)
✔一杯のコーヒーで混んでいるカフェに
何時間も長居する
✔いつも共有場所に車(自転車)を
何も言われないので
良しとしていつも停めている
なんてことも
注意が必要です
「これぐらいなら良い」ほど深い
当たり前に、
何の罪悪感も無くやっていることというのは
無意識のレベルが深いことになります
大袈裟な例で例えると
どろぼーさんの家族は
家族全員、盗みが当たり前
通常よりも、
「盗みは犯罪だ!」ということを
意識して修正する必要があるわけです
自分が「盗まれる」こととして
現実化しなくても
自分が「盗んだ」分
借金に困るようなことにも
なりかねません
問題が起きるには
必ず原因があるもの
今の小さな無自覚の行動も
量が溜まれば現実化する
既に現実化しているならば
どうも自分の中に「種」があるらしい
その種を修正する方が
絶対お得ですね!!
無自覚の行動を見直してスッキリと
罪悪感を無くしていければ
\私はもっと幸せになっていいんだ/
そう思えます